ライト

OPINION

日頃感じている小さな事柄を、独り言のように書いてみます。
ご意見をお寄せ下さい。 (でも熱くならないでネ)




15.福岡の飲酒追突転落事故で思うこと
 福岡で起きた、公務員の飲酒による追突・橋から海への転落による死亡事故は、大変痛ましい出来事でした。この事故をきっかけに、飲酒運転の撲滅と、飲酒運転者への社会的制裁の強化という大きな流れ、また、事故の当事者には、最大級の法律を適用した厳罰の執行が行われようとしています。

 しかし、この痛ましい事故を考えるとき、マスコミが集中的に取り上げるような、「公務員」「飲酒」「厳罰」という切り口で、一人の加害者を見せしめとして魔女裁判にかけるような風潮には共感できません。

 この事故で、幼い命が奪われた最大の原因は、「橋に欄干が無かった」という事実です。もし、この橋に、我々が常識的に考える程度の、普通のガードレール程度の欄干があったなら、車が炎上でもしない限り、ごく普通の「追突事故」で、命に別状のあるようなものでは全くなかったはずです。

 橋の設計としては、全く合法的なものであったというたった一言で片づけられてしまった、この事実こそ、大いに議論すべきポイントではないでしょうか。 普段我々が使っている、川に海に架かる橋が、人と自転車しかガードできず、自動車がぶつかれば、そのまま谷底へ転落する「仕様」だとしたら、車から見ると、全く橋の両側に欄干のない、谷底丸見えの橋を渡るに等しいことになります。 対向車がちょっと中央線を越えてきて接触すれば、たちまち谷底へ、川へ転落するような橋を、普通に走れる勇気がありますか?

 我々が、常識として期待している欄干の強度が全く足りていないと言うことについて、全国すべての橋について情報公開を行い、人・自転車用の欄干が付いている橋については、橋の手前に大きく明示をして運転者に注意を促し、最大限の財源を使って、早急に普通のガードレール程度の強度を持たせる欄干(ワイヤー?)に改造し、橋を造るときの法律の仕様を、常識程度に変更すべきではないかと考えます。

 酒を飲んでしまえば、その時点で判断力が無くなるわけですから、これを厳罰によって、懲戒免職によって撲滅することは、不可能です。 今回のような大きく報道された事故以外にも、全国で橋の欄干を突き破って転落死している事故は、相当あるのではないでしょうか? 飲酒運転を撲滅させる運動と同じくらいの力を使って、全国の橋を安全なものに変えていく運動も、是非実施しなければならない行政の大切な仕事であろうと思います。




14.最近のうれしい出来事! 〜 タバコについて
久々に期待を裏切るうれしい出来事が最近起こりました。
私は、大島通線のモスバーガーに、週に何度も出没して、長時間本を読むのを習慣としてします。 そこで一番の問題は、タバコの煙です。 ここに来る客の7割はたばこを吸い、その煙が流れてくる位置に座っていると、気分が悪くなって席を替わらなければなりません。 モスバーガーは食品の質も味も高く、その食材の健康を大いに喧伝しているのですが、実際それを食する段になると、タバコによる健康侵害と悪臭による味の極端な低下に何の関心もないのかと、食べてる途中で怒りで席を立って帰ることもたびたびありました。 何とか、せめてマクドナルド並に「分煙に」してもらえないものかと、投書をしようかとも考えていました。

昨年の暮れに、そのモスが店内の改装をして、室内もシックに、イスやテーブルも高級感があるものに変わりました。 そして、その日を境に、店内の入り口に、「全席禁煙」の大きな立て看板が立ちはだかったのです。 その、うれしかったのなんの。 これで、何の憂いもなく、おいしいコーヒーやバーガーと、ゆっくりした時間を過ごせる「保証」が得られたのです。
しかし、その日を境に、店内の客の数が激減しました。 へたをすると、私一人という時も、たびたびあります。 経営的には大変になったでしょうが、ガンバってください。 健康的でおいしい食べ物は、健康的な環境で食べるという、大切なことを実践されたのですから。 お客さんも、禁煙ということを知って、昔たばこの煙で敬遠していた人たちが戻ってくることと思います。

モスでは、最近「フォカッチャ」という新たなおいしいものを出したし、「スパイシーモスチキン」もなかなかいけます。 
お薦めは、ロースカツバーガーに、スパイシーモスバーガーとコーヒー。 ディナーとして食べるなら、匠味チーズとスパイシーチリドックにコーヒー。 専門店を除けば、ウエンディーズと並び、日本最高峰の味ですね。
きれいになり、いい環境になったモスバーガーに、みなさんどしどし行きましょう。 そして、レストランの完全禁煙化をもっともっと多くのお店に拡大していきましょう!

それにしても、税金を取るために、国家的に国民の健康を破壊して、中毒患者を大量生産してしまうという、「タバコ」という犯罪を、一日も早く、この国から無くしてもらいたいものだと思います。 生まれたときから、一度も吸わなければ、生きていく上で、全く何のプラスも得ることの出来ない代物なので、無くとも何にも不自由しないのですから。 実際、私はこの年まで、ただの一度もたばこを吸ったことは有りません。 
特に、赤ちゃんや小さな子供をそばに置きながら、平気でたばこを吸う母親を見ると、大切な子供の健康を何も考えないのかと、そのたびごとに怒りがこみ上げてきてしまいます。 
たばこを吸う人は、その悪い面を知りながら止めることの出来ない、意志の弱い人たちです。 周りの人に迷惑をかけ、自分からとてつもない悪臭を放ちながら生きていることに、何も気づいていない、愚か者です。 逆に、タバコをすっぱりと止めることが出来た人は、血みどろの戦場から生還してきた英雄のように、輝かしく見えてしまいます。

それにしても、もっとも大切なことは、自分の子供たちがタバコの中毒患者とならないように、愛情を持って本気で教育していくことだと思います。 学生にとって喫煙の誘惑はきわめて強いものです。 それにうち勝つ勇気を与えてあげられるよう、しっかり興味と根気をもって子供に向き合うことが、親の努めだと思います。


このあたりで、もう一度禁煙してみませんか?



13.おかしくないか? 車選び!
自動車というものは、誰にとっても大切な買い物で、いろいろな条件や制約の中で、今ベストと思えるものを購入する事になります。 
「どんな基準で選ぼうが、自分の買い物なのでとやかく言ってほしくない。」 「人それぞれ価値観が違うのだから、いいんぢゃないの?」、という声は、当然批判としてあるでしょうが、それでも敢えて、車選びの基準について、私の独断と偏見を一言申し述べたいと思います。

1.燃費が年々低下している事について
化石燃料が数十年で枯渇し、地球温暖化の防止が我々人類の最重要課題の一つとなっている現在に於いて、自動車メーカーは、あらゆる最新技術を駆使して、燃費の向上に努めている。

しかし、日本全体として、毎年車の燃費が低下しているのをご存知でしょうか?

その主因は、大型のワンボックスカーの購入比率が上昇しているからです。 いくら、個々の自動車の燃費を向上させても、燃費の極端に悪い大形ワンボックスカーを購入するのでは、焼け石に水状態になります。

私には、大形ワンボックスカーを購入する人の中に、どうしても必要で購入する人もいるでしょうが、大多数は、何となく「広くて大きい車が欲しい」という理由で購入しているのではないかと思っています。

家族が5人以上居て、5人乗りセダンでは移動できない。 趣味や商売で広い荷室を必要としている。 等のまっとうな理由のある方は、買われて当然だと思います。 しかし、たま〜に、親や友人を乗せて、6人以上の座席が必要とか、年に一回のキャンプの時だけは広い荷室が必要、という人は、年のうちほとんどの日を、無駄に広い空間と極端に重い車体を、大量のガソリンを消費して「無駄に」金を使い、環境を悪化させて、しかも、購入時に莫大な費用をかけて、長年ローンに苦しんでいるということになります。 
一家に二台以上車のある家も多いでしょうから、大型ワンボックスカーが無ければ、移動できないというシチュエーションも非常に限られていると思います。

年に数回どうしても必要な時は、その日だけレンタカーを使えば、目的は完全に達成できることになります。 レンタカーだと一日1.5万円位でしょうが、大形ワンボックスカーは、購入価格が通常の車より100万円ほど高いのではないでしょうか? ガソリン代に加えて、自動車税・重量税も高く、立体駐車場も使えないところがあり、カーボートも大型が必要、洗車・ワックスがけも大変と、維持費の面でも、大変なハンディーを背負っています。 それだけの負担をするだけの利用をしているのでしょうか?

それでは、機能面の比較はどうでしょうか?

2.ドライヴィングの楽しみの重要性について
自動車を購入する動機としては、純粋な「運ぶ」という実質面の要求と、「ドライヴィングを楽しむ」という趣味の面の要求の2つが主なものであると言えます。

どれだけ大量の人・物を運べるかという機能面については、前述の通りですので、その他の自動車に要求される機能を見ていきます。 車に要求される機能は、走って・曲がって・止まるという基本性能と、乗り心地、および安全性と、趣味の面としてのデザイン(かっこよさ)が挙げられると思います。 これらを総称して、「ドライヴィングの楽しみ」とした場合、大形ワンボックスカーを購入するということは、この「ドライヴィングの楽しみ」を放棄する事に等しいのではないかと、私には思えます。

「走る」に当たる部分が、ドライヴの大きなウェイトを占めますが、俊敏な加速のための基本指標である、「エンジン1馬力あたりの重量」パワーウエイトレシオは、ワンボックスカーは圧倒的に不利。 言い換えれば「加速性能が悪い」ということになり、快適なドライヴ、安全な追い越し等は望めません。 また、曲がる性能も、重心が高く、重量が重く、タイヤが比較的小さいことから、勝負にならないくらい曲がる性能は低く、同じ速度で走れば安全性に劣るということになり、峠道をひらひらと曲がりながら走り抜けるなどというドライヴィング自体の醍醐味は、危なすぎて鼻から諦めねばなりません。 同様に、止まる性能も、重量とタイヤが大きく作用するため、劣るということになります。 また、高速道路走行に関しても、巨大な空気抵抗による燃費・加速性能のさらなる悪化と、横風の影響をもろに受ける構造から、非常に劣ることになります。
では、乗り心地はどうでしょうか? 「高い視野」というのは、大形ワンボックスカーの持つ、唯一のメリットだと思いますが、乗り心地や騒音に関しても、構造と重量の関係から通常のセダンより相当劣ることは、間違いありません。 デザインに関しては言わずもがなで、勝負になりません。

運転席が、前輪の上あたりにあり、運転姿勢も乗用車とは全く違うスタイルを強いられ、私のように「ドライヴィングの楽しみ」をもっとも重視する立場からは、それを放棄してまで、必要以上の広さを求めてこれらの自動車を購入する人の気持ちを理解できません。

我が家には、私の車が5人乗り、家内の車も5人乗りで、合計10座席あります。 3人家族の我が家にはこんなに多くの座席は必要ありません。 私の車を、2座席のオープンカーにして「ドライヴィングの楽しみ」をさらに増して、合計7座席あれば十分だと考えています。

みなさんも、是非「ライトサイジング=適正な大きさ」の車選びを心がけて、快適・安全で経済的、しかも環境に負荷の少ない自動車ライフを楽しみませんか? 
運転手付きの車ならともかく、自分で運転するならば、出来るだけ小さく・軽く、しかもパワーのある高級車に乗る事こそ、ステータスだと思うのだけどなぁ。

3.白い車を買うということ
話は全く変わりますが、最近だいぶ少なくなってきたとはいえ、日本は世界的にも一番「白い乗用車」の多い国ではないかと思います。

白い車を購入する動機の一つとして、「中古車転売時の価格が高い」事がある、というのを聞いたこともあります。 しかし、そんなみみっちい理由で、本当にみなさん白い車をわざわざ購入しているのでしょうか? 自分が所有して、毎日乗る車に思い入れの色すら無いのでしょうか?

しかし、世界的に見て、特にヨーロッパでは、「白い車」は、「塗装前の未完成車」ということで、色の塗っていない車という認識があるそうです。 当然特殊な車なので、白い車の台数は極端に少ないと聞いています。
私も、白い乗用車を見るたびに、「商用車っぽくて安っぽい」「おしゃれじゃない」「主張がない」「塗装前?」と違和感を感じてしまいます。 特に、ベンツやBMW等の高級車の「白」を見ると、おいおいいったい何考えてるの?と、思わずつっこみたくなってしまいます。 

是非とも、自分の愛車には、自分が美しいと思う、またはこの車に似合うと思う色を、選んであげようではありませんか。



12.一分間ウデタテのススメ!
二年近く、スポーツジムに通い、つくづく体を動かす事の大切さを感じているわけですが、ちょっと気になるのは、世の中ダイエットとかジョギングとか脂肪を減らすことには熱心ですが、美しく健康的な体を形作り、動物としての本来の運動能力を発揮するための筋肉のケアについては、あまりにも無関心であるように思います。 
ダイエットをして脂肪を減らしても、「肥満による成人病を予防する」効果はあっても、「健康になる」訳では決してありません。 欧米でも(もちろん日本でも)そこの所が認識されるようになって、女性も含めて「しなやかな筋肉づくり」に脚光が当たるようになってきたそうです。 
本来あるべき筋肉があってこそ、日常の消費カロリーが増え、脂肪を減らし、しなやかな体型と活力ある身のこなしが出来るようになり、本来の男性女性の美しさと健康を保つことが出来ると考えられます。 もちろん、ケガや老化防止に効果があることは言うまでもありません。 

女性にとっては、筋肉がゴツゴツついてみっともなくなるからいやだと言う方もいますが、心配ありません。 女性の場合は、ちょっとやそっと筋トレをしたからといって、ゴツゴツした筋肉がつくことはありません。 筋肉が付く前に、引き締まった体型になるはずです。 男性でさえ個人差があって、元々筋肉質の人以外は、そんなに筋肉が目立って大きくなることはありませんから。

運動をするに当たって、もっとも大切なことは、「続けること」に尽きます。 始めるときの「決意」と明確な「目標」それに、続けることが出来る環境づくりが大切です。 

そこでおすすめするのが、「毎日一分間だけ自分の体に気を遣ってあげましょう」ということです。 毎日一分間も、自分の健康にために時間が割けない人が居るでしょうか? あとは、あなたの「続ける」決意次第です。 たった一分間で、いったい何が出来るのと疑問に思われると思いますが、いろんな種類の運動を続けた中で、きわめてバランス良く全身の筋肉に適度の刺激を与えることが出来、筋力の強い人弱い人を問わず、誰でもどこでも器具なしで出来る夢のような運動が一つだけありました。 
それが、タイトルにある『腕立て伏せ』です。 イメージからは、腕の筋肉しか対象でないようにありますが、さにあらず。 腕全般の筋肉はもちろん、胸の筋肉、首、肩、特に腹筋、大腿筋、臀筋、背筋と、ほぼ全身の筋肉を一様に使うすばらしい運動種目です。 

1日1分やるだけで、翌日自覚できるだけの筋肉に対する刺激が与えられます。 また、やった直後にはかなりの心拍数上昇がありますので、一日一回心拍をあげて心肺に刺激を与える効果も得ることが出来ます。

上腕部が脂肪でぶよぶよの、そう「あなた!」、腹部が脂肪でビヤ樽の男性!(女性も!)、バストアップを図りたい男女、足や尻のシェイプアップが必要な人、肩こりがひどい人、ほんの少しでも運動をしたいと考える人、ほとんど皆さんが対象者ではありませんか??

【一分間ウデタテのやり方】
1.時間は一分間
  (時間の長さより、中身の負荷で勝負)
2.出来るだけ、「ゆっくり」「深く」やることが大切
  (3秒に一回、トータル20回程でしょうか、あごや胸が床に付くくらい深くやりましょう)
3.手の幅は、「出来るだけ広く」とること
  (狭いと、腕だけの運動になってしまいます)
4.首から足首まで常に一直線になること
  (ピンと体を伸ばすことで、腹筋・背筋・臀筋・太股筋が刺激されます)


以上4つだけが共通事項で、あとは今の筋力にあわせて負荷を変えていきます。

基本は、床に水平になってやるのですが、特に女性は初めは出来ないので、出来るところまでつま先より腕の位置を高くしていきます。 
一番初心者は、壁に向かって立って、壁を押すような形で始めてください。 これでも、腕を広くとって、ゆっくりと背筋を伸ばして行うと、効果が実感できますよ。 次第に手の位置を、ソファーの背もたれ、机、いすと下げていき、床まできたら、目標達成でしょう。 
逆に男性は、
床から始めて、足の位置を、いす、机、ソファーの背もたれ、壁と上げていきます。 

また、この運動のバリエーションの一つとして、
腕立てで腕を伸ばしたときに、お尻を出来るだけ高く上げて、体を「く」の字にする方法がありますが、これは、とくに腹筋に強烈な刺激を与えるので、ついでに腹筋をより鍛えたい方におすすめ。  ちなみに、現在の私は、足を90cm程のソファーの背もたれに引っかけて、お尻を高く上げるやり方で25回やってます。 毎回、目玉が飛び出すほどキツイです。

自分の体、自分の健康への投資で、これほど安上がりでお手軽なものはありません。 是非実践してみてね。 でも、始めたら、やめる口実は一切ありませんからね。(^o^) ガンバレ!



11.お酒についての独断オピニオン
  1. お酒は嗜好品です。 酔えれば何でも良いという飲み方はやめましょう。 おいしいお酒を適量頂くのが一番!

  2. 日本とアメリカは、量産されているビールが世界でも一番まずい国です。 特にドライ系のビールや発泡酒等という超低品質の物は口にしないようにしましょう。 発泡酒のまずさが分かれば、あなたも味覚も一安心です。

  3. 国産のウイスキーで本当においしいと思うのは、今まで数種類しか出合っていません。 スコッチはスコットランドで、バーボンはアメリカでしかできない物。 日本のウイスキーは一体何者でしょう。 同じ値段ならスコッチの方が数倍うまい。

  4. 本酒の一級品は、まさに芸術物。  原料の良し悪しでかなりの物が決まるワインと違い、まさに米と水から作り出す味と香り。 なぜ世界的に評価されないのか不思議です。

  5. ラベルで飲むのはやめましょう。 宮崎で爆発的に売れている地元ワイン。 本当においしいか???

  6. お酒は、グラスで味がすご〜〜〜く変わります。 ワインが変わるのは良く知られてますが、ウイスキー・ビールもものすごく変わります。 良いウイスキー・ビールを、大きめのブランデーグラスで一度飲んでみて下さい。もちろんウイスキーはストレートで。

  7. 「水割り」はやめませんか? 水割りは、ウイスキーの最もまずくなる飲み方です。 もちろん、ある種のバーボンは水割りがおいしかったり、低級なウイスキーは水割りでないと飲めない物もありますが、いいウイスキーの水割りはかわいそうです。 逆にあなたは(シングルモルトでない普通の)国産ウイスキーをストレートで飲めますか?

  8. いいウイスキーは、a.ストレート b.常温の同量のミネラルウォーターで割る(氷無し)水割り c.ロック d.日本式水割り の順で味が落ちると言われます。 あおるように飲むのではなく、少量づつ口に含み、味を確かめ、チェイサー(ミネラルウォーター)で口の中をリセットしてからまた飲むようにすれば、いつまでもおいしく飲めます。 ストレートで飲むときも、一般的なショットグラスではなく、ブランデーグラスや大きめのワイングラスのような物で出してもらうようにバーテンさんに頼みましょう。 とびきりの香りを一口飲むたびに楽しむことが出来ます。

  9. カスクに挑戦! ウイスキーの中には、「カスク」または「カスクストレングス」と呼ばれる種類があります。これは、樽から出して水を加えずに瓶詰めされた物で、アルコール度数が50〜65度くらいあります。 ウイスキーもアルコール度数が55度を超える辺りから、表情が一変します。 口に入れた瞬間にアルコールが口の中ではじけ、ウイスキーの味と香りが口中に一瞬のうちに広がり、ウイスキー本来のうまさを直に味わうことが出来ます。 日本の有名ウイスキーのCMコピーに「何も足さない、何も引かない」というのがありますが、真っ赤な嘘で、蒸留水を加えているはずです。 是非一度、「カスク」に挑戦して、かーっと燃えるようなアルコールの刺激の裏からわき上がるウイスキー本来の味を確かめてみて下さい。

  10. ばかやろぉ!と大声で言いたいことがあります。
    宮崎県は、焼酎の産地で各地においしい焼酎を作っている酒造業の方がたくさんあり、お話を聞く機会が多いのですが、皆さん、よりおいしく付加価値の高い焼酎を造ろうと努力されています。 そうなると必然的に長期貯蔵をすることになるのですが、焼酎の場合は「かめ」に入れて貯蔵する方法と、「樫ダル」に入れる方法に二分されます。 樫ダルに貯蔵すると貯蔵期間だ長くなるに従い、焼酎もウィスキーのような琥珀色に変わっていき、いかにもおいしそうな外観に変わっていきます。 ところが、国税庁の基準では、焼酎の色がある程度以上琥珀色になると、何と焼酎とは認められず、「ウイスキー」というカテゴリーに強制的に入れられるそうです。 しかも、酒造免許が、焼酎とウイスキーとは違い、通常の焼酎業者はウイスキーの免許は持っていません。 そのため、業者の方はせっかく出来た美しくおいしい琥珀色の焼酎を、若く色の付いていない焼酎とブレンドし、色を基準値以下にして、結果的に「まずく」しないと大切な焼酎を出荷できないのです。 焼酎の酒税率が上がり、ウイスキーと同じ土俵での勝負を余儀なくされいる中で、品質はある意味でウイスキー以上に出来ないことをどう思いますか? 焼酎の品質向上・海外展開・消費拡大というお題目とは裏腹に、焼酎という大切な日本の食文化に、権益だけは守ろうとする役人が立ちはだかるという構図に怒りを禁じ得ません。



10.コキントー主席って誰? NHKさん 
世界でも最も有名な政治家の一人、胡錦涛中国国家主席は、世界中で ”Fu Jintao”(フー・チンタオ)と呼ばれており、Fu Jintao と言えば世界中で知らない人は居ません。 ところが、唯一日本でだけは、「コキントー」国家主席と呼ばれています。 なぜれっきとした名前があるのに、日本ではNHKまでもが、単なる当て字(読み)で、大切な人の名前までも勝手に都合良く変えて呼んでしまうのでしょう? 逆に、フーチンタオと言われて、胡錦涛中国国家主席だと分かる日本人が、一体どれだけ居るでしょう? これは、結構大変な問題です。

韓国人に対しては、昔、「キンダイチュー」だった金大中大統領がいまは、「キム・デジュン」と、まともに呼ばれるようになりました。 当然のこととして、なぜか、韓国人に対しては正しく呼ばれるようになったのに、中国人に対しては、いまだに間違った当て字の呼び方をかたくなに続けています。 
聞くところによると、それは、「中国側も日本人の名前を中国読みしているから」だそうです。 何とも、悲しくなるような子供のけんかのような、幼稚な論理です。
韓国に対して見せたように、人の名前は、正しく発音するように改めるのが当たり前だし、礼儀でもあります。 中国人名の呼称に対しても、早急に世界標準の正しい発音で、名前を呼ぶように、強く求めたいと思います。

これを望むもう一つの大きな理由は、英文で中国の人名を読むときに、誰のことを言っているやら、「コキントー」や「モータクトー」としか中国国家主席の名前を知らない日本人には、さっぱりわからないのです。 読むときならまだしも、英語を話している最中だと、もう完全にお手上げ状態になります。 英語を勉強するときには、日本語読みの中国人名を一人一人、英語読みの名前に置き換え、それを暗記するという、ばかばかしくも大変な作業を強いられているのです。 しかも、日本で世界標準の中国人名の英語表記を見つけだすのが、結構大変な作業になるのです。

さらに、同じく中国の地名にしても、北京(ペキン)、上海(シャンハイ)、香港(ホンコン)は、何故か正しい現地読み。 それ以外の、大連(ダイレン)、重慶(ジュウケイ)、蘇州(ソシュウ)あたりは、完全に日本語読みと、まったく節操のない状態になっています。 さらに、これを正式に地理の授業で教えているのですから、本当にヒドイ状態だと言わざるを得ません。

我々の世代は、ちょうど端境期だからとあきらめもつきますが、インターネット、グローバル時代を生き抜いていき、英語を日常生活の中で今よりはるかに多く使っていくようになる、今の子供達の世代にも、このような間違った教育をして、苦労をさせるのかと思うと、一刻も早く状況を改善しなければならないと考えてしまいます。

文部科学省でも、NHKでも誰でも良いですから、「中国の人名・地名を現地読みで統一しよう」という、ささやかで大切な改革を早くやってくださ〜〜い。 今のままでは、恥ずかしすぎるぞ〜〜。



9.なぜ、ノートパソコンを買うの? 
私のどうしても理解できないことの一つに、なぜみんな揃って、ノートパソコンを買いたがるのかという事があります。
メーカーサイドからすると、利益のでないデスクトップではなく、がっぽり稼げるノートを売りたいのはよく分かりますが、老いも若きもなぜ、値段が高く性能の悪いノートを欲しがるのかさっぱり理由が分かりません。

デスクトップより、ノートの方が高性能・高級と勘違いしている人が多いのではないでしょうか?

ノートパソコンの利点は、置き場所が少なくて良いことと、持ち運びできると言うこと。 
それ以外の、扱い易さ打ち易さ、スピード、容量、値段、拡張性の無さ、ゲームソフトの相性、それに一番、画面の美しさと見やすさについては、デスクトップの方が比べものにならないくらい優れています。

部屋の中の置き場所にしても、デスクトップ本体は机の裏にでも置いて、ディスプレイだけ机に載せれば、殆どどんな家にも置けます。 逆に、仕事しながら使うときは、デスクトップはキーボードだけ手前にあればよいのに比べ、ノートは、本体そのものが手の届く範囲に無ければならず、かえって場所をとります。 

それに、パソコンを移動させながら使う人って、一体どれくらいいるのでしょうか? インターネットに繋げるならば電話線の近くに居ないとどっちにしろ繋がらないし、家庭内にLANを構築している人も、殆ど居ないでしょう。 
ノートパソコンには、高価で重いバッテリーが必ず入っていますが、そもそも電源のないところで、バッテリーでノートパソコンを使う必要のある人が、一体どのくらいノートパソコン所持者の内で居るのでしょうか?

液晶画面は、ずいぶん進歩しているとは言え、完成され切った技術であるCRTディスプレイの、美しさ、見易さ、反応の速さには、液晶は全く付いていけません。 パソコン上で美しい美術・写真鑑賞や、映画を見るとき、ノートパソコンのちゃちな画面で見るのと、大型ディスプレイで見るのでは、天と地ほどの差もあります。
液晶で見る写真は、物の質感が乏しく、奥行きのない平面的な写真になります。

今、安いデスクトップは、5万円台で十分なものが買えます。 良い大型ブラウン管ディスプレイを買っておけば、本体を買い換えれば、いつでも最新のマシンが使えます。 メモリを足すのも、CDROMを、CDRやDVDに替えるのも、極簡単に出来ます。

殆どの人は、自宅でデスクトップパソコンを置くスペースくらいあるはずです。

デスクトップ型液晶ディスプレイという選択肢は、パソコンの扱い易さ性能・拡張性では問題有りませんが、画面の美しさでは若干劣るという、妥協の選択ではあるかもしれません。 但し、値段は高いですがね。
仕事でしか使わない、写真画像等を見ることが無い(インターネットを使わない)というので有れば、液晶ディスプレイで充分かもしれません。

今後、パソコンの利用形態は、デジカメ画像編集閲覧、デジタル動画編集に加え、有料コンテンツ・映画等のインターネット配信の鑑賞等の利用形態等に対する比重が非常に大きくなってくると思います。 
最新作の素晴らしい映画を有料で見るとき、あなたは本当に液晶画面での鑑賞に耐えられるのでしょうか? 音声だけは5.1チャンネルサラウンドになるのに、画像だけはノートパソコンの液晶画面で見るのですか?

これから先、有料動画コンテンツを加速度的に普及させるに当たり、ノートパソコンしか持たない消費者に対しては、思うように利用が伸びず、普及に当たって多きなマイナス要因になることが懸念されます。 メーカーサイドも、今後のこのようなパソコンの利用形態の変化に対して、それにふさわしい、コンテンツの育成に合うようなハードウエアの提案を、消費者サイドにすべき時に来ているのではないかと思います。 


一度、同じ写真を、ブラウン管ディスプレイと液晶ディスプレイで見比べてみて、その差があなたにとって許容できるものかどうか確認し、また、動画を見る予定があるのならこれも見比べてから、買う機種を最終決定することを、強くおすすめします。

メーカーの宣伝に踊らされることなく、安く、見やすく、打ちやすく、高性能な、大型ブラウン管ディスプレイ付デスクトップパソコンを、皆さん使いましょう!




8.交通法規と交通マナー 
毎週長距離ドライブをすると、いろんなドライバーに出逢います。 少しでも、回りにイライラさせず、スムーズに皆が走れるよう、お互いに協力していきたいですね。

1.日本の制限速度について


 制限速度については、各県の公安委員会が決めているが、この「法定制限速度」と現実社会の実際の走行速度との乖離があまりにも大きい。 法定制限速度で道路を走行するのが、現実には不可能なほど、低く設定されているところがほとんどである。 パトカーでさえ、法定速度を守れず(守ると大変な渋滞になる)、警察官や実際にその速度を決定した公安委員会の人間さえも、絶対に法定速度は守っていないはずです。 

 県警の交通関係の人間に聞くと、制限速度オーバー10km以内では、まず絶対に検挙しないそうです。 しかし法律上は、制限速度を1kmでもオーバーすれば「違法状態」になる。 車を運転するすべての人間が、実質上「違法行為」を強いられているわけです。 いまの制限速度は、これ以上オーバーすると「違法状態」になるという限界の速度設定ではなく、「安全速度」くらいの意味合いしか持っていない、ごくお気楽な設定であると言わざるを得ず、司法機関自らが遵法意識の軽視を助長させていると言っていいでしょう。

 車を運転する親なら、たいがい経験していると思いますが、「お父さんスピード違反をしているよ」と子供に言われることがあります。 親としてとても情けない場面ですが、「10km以内なら平気」とも言えず、気まずい思いをしてしまう事があります。 また、この速度違反は軽微なら問題ないという考えと現実が、「遵法意識の軽視」を助長していることは、紛れもないと思う。

 私の車、シルビアが、70kmでタイヤが鳴るわけでもなくスムーズに走れるカーブが、軽四輪トラックでは、50kmでもタイヤが鳴ってしまう限界のカーブというケースは数多くあり、現実には走行能力の極端に違う車が、混在して一本の道路を走り、同じ制限速度を課せられている。

 法定速度は、あくまですべての車に許容できない「違法速度」を決め、その中で、各人の車の性能に応じた「安全速度」で走るのが本当の姿であるべきで、そうやって決めた法定速度については、1kmでもオーバーすれば検挙し、各人が厳格な遵法意識のもとに道路を走行するよう、抜本的な制度・意識改革が必要である。

 とりあえず、アメリカが過去にやったように、現行の制限速度の一律10kmアップと、制限速度オーバー時の、厳格な取り締まり姿勢の構築を提言したい。

2.適切な追い越し禁止規制を

 ほぼ毎週、国道269号線を走って、宮崎市と鹿屋市を往復するが、鹿児島県にはいると、安全な箇所と危険な個所に応じて、きめ細かく「追い越し禁止」の区間が定められている。 そのため、追い越し禁止区間では、どんなに遅い車がいようと、次の追い越し区間まで、追い越しをかけたり、あおったりする気は全くなくなります。 追い越し禁止区間は、本当に追い越しが危険だと分かるからです。 

 しかし、宮崎県内では、追い越し可能区間は、全くない。 何の考えもなく、ただ単に、黄色いセンターラインが引かれているだけです。 こんな状況で、極端に遅い車の後ろに付いた場合は、悲惨ですし、眠くなって居眠り運転の危険、またイライラして乱暴運転の危険と、いたずらにリスクを増やし、また、道路の持つ輸送能力を最低スピードの車に規制されてしまう大きな社会的弊害もあります。 宮崎で運転免許を取った人は、一度も追い越し運転をしたことがない人が多いのではないでしょうか。

 宮崎県公安委員会は、鹿児島同様、実際の危険度に応じ、適切な追い越し可能区間の設定を、手抜きすることなく設定すべきであると提言します。

3.運転マナーと運転適正能力 「運転6大バカ」

 道路を運転していて、イライラさせられることは多い。 その中で、私の選ぶ「運転6大バカ」をご紹介したいと思います。

@右折待ちの時、車を斜めに停止させるバカ
 自動車の運転では、いかに自分が他の交通の流れの邪魔にならないかを一番考えないといけない。 そんな中で、右折待ちで道路上に停止することは、他の車にとって最大の障害となります。 いかに道路の右端に寄って後続車の邪魔にならないかを考えなければならないのに、道路上でわざわざ斜めになって停止するバカが多い。 自動車は、車の横幅が一番幅が小さいが、斜めにしたときに最大の幅となる。 少しでも斜めにすれば、道幅いっぱいになってしまうことをよく考えて、右折時には、車線の右端に、少しも車を右に傾けることなくまっすぐ停車させるように必ず心がけましょう。 また、教習所でもこういう事こそ、厳格に指導を行って欲しいと思います。

 それと、いまだに右折時に一度左にハンドルを切ったり、左折時に一度右にハンドルを切ったりして曲がる癖のある人がいます。 大型トレーラーではないのだから、こんな必要はないし、とにかく隣の車線の車や後続車とぶつかりそうで、とても危険なので絶対にやめましょう。 こういう車は、必然的に右折時に斜めになって停車することになります。

Aライトをちゃんと使えないバカ
 夕方になっても、トンネルの中でも、なかなかライトをつけようとしないバカがいる。 自分が見えてるから、どうでも良いと考えているか、早く点けるやつはアホだ位に考えているのだろう。 しかし、ライトは自分のためではなく、他人に自分を識別させるために点けるのだという事が分かっていないようです。 無灯火の自動車がいかに危険か全然考えたことも無いようです。 カナダでは、昼間でも車のヘッドライトを点けるように法律で決まっていて、エンジンをかけたら、自動的にヘッドライトが点くようになっています。 ライトぐらい、こまめに点けようではありませんか。 自分が、運転が下手だと言うことを、アピールしながら走ってるようなもんだから。

 もう一つ、夜間対向車や前方に車がいないにも関わらず、絶対にハイビームを使わないバカがいる。 ロービームとハイビームでは、走行に必要な安全性に格段の差があり、基本的にはロービームでは、時速40km以上で走る事が危険なほど、何も見えていないし、遠くの情報は皆無に近い。 追い越しをかけようにも、前の車がロービームで走っていては、前の状況が全く見えず、追い越し自体がとても危険になってしまう。 

 ハイビームを使ったことのないアナタ! 今日から、使って快適に安全に走ろうね。

 警察の標語じゃないけど、「早めの点灯、こまめな切り替え」は、是非実行して欲しいと思います。 パトカーも無灯火車には、積極的にマイクで注意を促すようにして欲しいと思います。

 ついでながら、パッシングライトを使うときは、一回パッと点けるのは、「No、止まれ」を、二回パッパッと点けるのが「OK、どうぞ」を意味するのが、世界標準なのですが、どうも日本では、逆の人が多いみたい。 あぶないゾ!

 それと、ハザードランプを、「ありがとう」の意味で点けるのが、東京あたりからはやり、今は当たり前のように全国的に使われています。 賛否両論あるようですが、私は、左に寄って、道を譲ってくれた車に対しては、「必ず」ハザードランプで、「ありがとう」と言っています。



B一本道で、低速で走って気にしないバカ
 これが一番頭に来ます。 ゆっくり走るのは、勝手だけど、自分のせいで後ろに何十台も数珠繋ぎに、渋滞を起こさせて平気でいる者には、運転免許証を与える資格がない。(常習犯は、免許取消!又は、逮捕!)

 どうしてもゆっくり走りたいなら、定期的に停まって後ろの車を前に行かせるか、左に寄って、追い越しをさせるかしないと、後ろの車の怨念を買うことを肝に銘ずべきです。 自分の前に車がいなくなったら、自分が加害者になっている可能性に気づくこと。 基本的に、前の車と同じペースで走れば、渋滞は起こらない。

C車間距離をとらないバカ
 私は走るときに、回りの迷惑にならない最大限の車間を保って走ります。 前の車から自分の車までの道路の空間が「自分の物」だから、最も贅沢だし、安全にスムーズに走れるからです。 少々前の車がブレーキを踏もうとも、こちらはエンジンブレーキで対応でき、先の信号もよく見えるから、それに合わせて速度が調節できるし、第一追突の加害者になる可能性が限りなくゼロになります。 

 トラックの後ろで、車間を詰め、前が全く見えず、頻繁にブレーキを踏む車を見ると、よくちゃんと走れるものだと感心すると共に、トラックしか景色は見えず単調で、ブレーキ・アクセル操作も頻繁で、燃費も悪く、疲れるだろうなあと哀れに思えてきます。

D右折レーンに入ってから右折シグナルを出すバカ
 自動車の右折・左折シグナルは、「今からこの車は、こういう行動をするから充分気を付けてあらかじめ対処してください」というメッセージを回りに発する物です。

 右折レーンに入ってしまえば、右折することは後続車も対向車も分かり切っているのです。 右折レーンに入るか、直進するかを後続車に伝えるために、右折シグナルを出すのです。 何の前触れもなく、右折レーンに入り、停まってからシグナルを出す運転者を見ると、回りのことが何にも分かっていないバカだなと、同情してしまいます。 いきなりブレーキや減速をされては、後ろは避ける暇もなく停車を余儀なくされることもあり、まさに最低のマナーの運転者だと軽蔑すると共に大変な迷惑を被ってしまいます。 車線変更時の、「3秒前シグナル」は、教習所でも必ず習っていますので、手抜きをせずに励行しましょうね。

E停止線の3m手前で停まるバカ
 教習所では、誰でも運転席から見える停止位置と、実際の車の停止位置が全然違うことを教えられ、ちゃんと車の前端と停止線を合わせるように習います。 でも、実際に運転を始めると、そんなことは忘れ、自分の感覚に従って、停止線の遙か手前で停まって、平気な運転者(特に女性が多い)の何と多いことか。 

 そんな人は、自分の車の車幅や現在位置が全然把握できていなく、自分の車が回りのトラフィックと調和しながら走っているかなど、まったく気にしない、独りよがりな自分勝手な「危険なドライバー」なのだと、反省していただきたいと思います。

実際、7割以上の車は、停止線の2m以上手前で、停車しています。 あなたもたぶん、ずいぶん手前で止まっているはずです。 一度チェックをしてみて下さい。


ここに挙げてきたことなど、ごくごく基本的な事柄。 交通の調和と安全のために、このようなことをしないよう、定期的に運転適格検査を実施して頂くと共に、交通マナー向上の広報活動を強化していただきたいと思います。
まさか、あなたは、上の6つをやっていないでしょうねぇ。(^o^)



7.DNAをもてあそび、自ら破滅へと突き進む人類。 
先日、ほうれん草の遺伝子の一部を豚に移植し、豚の脂肪を食用として好ましい物に変えることに成功したとの新聞記事を読みました。 遂に、動物と植物の融合です。 そのうち光合成が出来て日なたにいるだけで物を食べなくてよくなるる豚とか出来るのではないでしょうか。

しかし、いったい人類は生命の根元であるDNAについてどれほどのことを知っているのでしょうか? 現存する生物の持つDNAは、何億年もかけてふるいにかけられて、何億年もの間一度も死ななかった、一度も連鎖の切れなかった、最高にファインチューニングされた超エリートたちなのです。 その中で、安全性や地球上の調和が確認され、それを保つようにたくさんの自己制御機能を内蔵している極めてデリケートなものです。 その中には、個体発生の過程で、原初の発生形態からほ乳類までを歴史を演じさせる機能や、「本能」と呼ばれる記憶情報まで含まれています。 
ゲノム解明計画と称してDNAのなぞを解き明かす研究が進んでいますが、これはDNAの持つ情報を人間の言葉に翻訳する作業ですが、そもそもそのほとんどが人間の持つ言葉に翻訳できるものではないと考えるべきで、「線虫の遺伝子情報はすべて解明済み」などと臆面もなく言える科学者はあまりにも軽薄でどうかしています。 
遺伝子の中には、人間が及びも付かないような事柄がその大半を占め、その一部分のみ調べさせていただいているのだという謙虚な気持ちで、研究に向かわねば、先ほどの「ほうれん草と豚」のような、とんでもなく危険なことを平気でやってしまう結果になってしまいます。

地球上の生物は、すべて(一部の地中や海中深くにいる火山活動の超高温中で生きている生物は別かもしれません)統一されたDNAの目的・規則の中で生きています。 

第一の目的は、DNAを保存し続けること。 究極的には、我々はDNAを保存するためのみに生まれ生きているのです。 こう言うと身も蓋もないようですが、これは絶対的な真理です。

第二の目的は、多種多様なDNAを保存し続けるために調和を守ることです。
先ほどの超高温生物を除けば、地球上すべての生き物は、太陽光線のみをエネルギー源に生きています。 そのために、壮大な植物系・動物系の食物連鎖を作り上げたわけで、この根本的な枠組みはDNA進化の過程で、どうしても崩すことの出来ない前提となってしまいました。 私は、現在のDNAの持つ最大の弱さと、唯一の欠点は、この植物・動物の連鎖体系を作ってしまったことだと考えています。 このような調和を保つためにありとあらゆる仕組み(トラップ)をDNAはそれ自身に内蔵しており、この調和を乱そうとする個体は、そのDNAを後に残さないように死滅するような安全装置を備え持っています。 全体を守るために自滅するプログラムです。 
DNAを残すことに寄与しない同性愛にはエイズを、種を滅ぼす危険のある「共食い」には狂牛病(プリオン)を、過度に他のDNAを消費する過食には各種「成人病」を、少し前では、増えすぎた個体を正常値に戻すための、コレラ・赤痢・天然痘・結核というプログラムがありました。 今まで人類は、これらのDNAの警告する調和プログラムを無効にすることにかなり成功してしまったため、個体数は60億にも達し、何十億年にもわたるDNAの歴史の中でも、地球環境破壊による最大のDNA死滅の危機に直面しようとしています。 

この先、DNAと人類に残された選択肢は、3つしか有りません。
 
1つ目は、最も可能性の高い、地球環境破壊による大部分の高等生物の死滅。 残された生物によりDNAは、進化の再出発をするというパターン。
これは、有る意味でDNAの進化プログラムの敗北です。 神(DNA)が創造物(人間)の暴走を止められなかったという、当初の予定外の結末です。

2番目は、DNAのもつ強力な
「調和プログラム発動」により、人類のみ死滅。 他の生物は大発展を謳歌するというパターンで、地球にとっては最高の選択肢です。 
なぜなら、「今の」人類以上に、地球や他生物に対する破壊を行う者、無知で乱暴で倫理観のない者は、かつて無かったからです。 他の生物に対して、人類ほど過酷な虐殺や食用屠殺を繰り返している生物が、過去居たでしょうか? 他の生物に対しては、生存権を始め、一切の権利を認めていません。

問題となるのは、このDNAの調和プログラムは何かと言うことですが、いま人類を死滅させるほどのパワーのある脅威としては、@天然痘テロ Aプリオン系の脳破壊物質 B核戦争などがありますが、最も可能性の高いのが、先ほどから話題の「ほうれん草豚」です。 
かつて、鉛の鍋でワインを暖めて飲む部族が、鉛の毒性のために不妊症になり全滅した例がありますし、現代でもアルミがアルツハイマーの原因かなどと言われていますが、それほど人間は自分たちにとって何が脅威なのかを見極められないほど頭の悪い生き物なのです。 
遺伝子を変えて、リノール酸になった豚を人類が食べ、その他遺伝子組み替えで出来た食べ物を食べて、不妊症にならなかった、どこか疾患にかからなかったという結論は、数世代後にしか分からないでしょう。 
今、浅はかな科学者たちの商業主義遺伝子操作で作られた「食物」を食べ、不妊になったら、何と都合のいいことに、10年後には不妊のため出生が止まり、百年後には人類は死滅するではないですか。 タイミング的には、ぎりぎりで地球が救える絶妙さです。 そう考えると、この第2の選択肢が発動するとなるとそろそろと言うことになりますね。
若年男性の精液中の精子数が極端に少なくなりつつある、若い男性の女性化が進行中、若い女性の不妊が増加中、等々、もう兆候が現れてきているのではないでしょうか? 不妊と言うことは、人類絶滅への最も確実な道であると言うことを、もっとしっかり認識せねばなりません。

3番目の選択肢は、人類が自主的に自分たちのすべてを統一して変え、自然と人類が共存できるようなあり方を実践していくと言うことです。 
人類の数を瀕死の地球と調和できる数まで減少させ、エネルギーの消費を極限まで減らし、毒性物質の生産投棄を止め、人類が高い知性の元、共通の認識・目的で静かに暮らしていかなければなりません。
しかし、これは21世紀になっても戦争という殺しあいを止める方法すら持たない極めて知性の低い人類が、残された時間のない中、統一して行動に移せるなどということは、世界に極めて知性と見識があり支配力も強い独裁者でも現れない限り手遅れだと思います。


今、科学者・政治家が本気で取り組まねばならないことは、クローン技術で長生きするための臓器移植などを考え闇雲に人口を増やすのではなく、60億の人口をどうやって30億まで短期間にすみやかに減らしていくかと言うこと。 具体的には、中国が漢民族に対して行っている、「一人っ子政策」を、速やかに全世界に強制することが第一歩でしょう。 また、いかに、エネルギーの消費を押さえて一人一人が豊かに自然と調和して生きていけるかを考えることに尽きると思います。 この事について、人類はあまりにものんびりしすぎています。 NGOが政府に取って代わって枠組みを作っていく必要があるかもしれません。

繰り返しになりますが、今の人類の遺伝子操作による危険の創出が、DNAの仕組んだトラップ(罠)かどうかは分かりませんが、「生命」と言うことの定義すら出来ていない人類には、DNAを触る知識も資格も無いという事を肝に銘ずべきです。 また、そうやって出来た食べ物は決して口にするべきではありません。

若干話は道をそれますが、「クローン」技術については、それほど大騒ぎをする必要はありません。 「自分のコピーを作る」などとの大それた話ではなく、『記憶もリセットされた年の違う双子』が生まれるだけです。 ただ、クローンで使用される遺伝子は、「新品」ではなく「中古品」です。 中古の遺伝子で作られた個体が、どれだけハンディーを背負っているかはまだこの先長く見ていかないと、分かりませんし、中古の遺伝子によって新たに受精・誕生する遺伝子がどれだけ傷を負っているかも分かりませんので、クローンで誕生させられた個体はいい迷惑(遺伝子に寿命が有れば、クローンの家系の人は長生きできません!成人病も増えるかも。)かもしまれせんし、その先の遺伝にも不安が残ります。

***

今、家の中でさつまいもを育てているのですが、日の当たる方向にグングン葉を伸ばしていきます。 葉を日光の方に伸ばすためには、茎の根元の方が曲がっていかなければなりません。 脳を持たないイモが、どうして全体の調和を保ちながら(葉っぱは重なりません)、日光に葉を向かわせるために茎を曲げていけるように作られているか、「DNAの中にどういう記載があって、そのためにこれだけの機能を持たせてあるのだ」と、説明が出来るようになったとき、初めて人類は遺伝子を扱えるようになるのではないでしょうか?

DNAを操作することは、原子爆弾を作ること以上に、危険なことなのだということを、はっきり認識しなければなりません。 操作による危機は、次世代以降に、まとまって現れてくるのです。


6.生命・進化・遺伝・自我とは何か? 「ゴースト・イン・ザ・シェル」  
近未来のコンピューター犯罪と戦う、サイボーグ警察組織の物語をアニメ化した映画ですが、アニメーションと言って馬鹿にしてはいけません。 この映画から全世界でヒットした「マトリックス」に、随所に引用されているすごい映画なのです。 全編に「ターミネーター」の様な独特の近未来の雰囲気を漂わせ、見ている物をぐいぐい引きつける傑作です。 アニメなんか絶対に見ないと思っている大人でも内容の質の高さには納得するのではないでしょうか。 と言うより、難しすぎて子供には理解できないでしょう。
この物語の中の主要テーマは、1.「意識・自我」というものを進化したコンピューターが持てるのか? 2.人間の脳・機械の体を持ったサイボーグが自己のアイデンティティーに悩み続ける。 3.人間のDNAと同じく、進化のプロセスを持った人工知能プログラムの出現の可能性、ということですが、私の研究テーマである「自我」「遺伝子・DNA」の延長上にある問題点について取り扱われており、コンピューターによる第三の自我を人間のDNAと比較しながら明快に問題点を論じています。 こういう事について、まじめに考え続けて、それを作品として作り上げる人がいるなんてびっくりしました。 

この作品の中からいくつかキーワードを抽出すると、
 ○生命とは、情報(DNA)の流れの中に生まれた、結節点にすぎない
 ○現代科学は、「生命」の定義すら出来ていない
 ○種として、人はただ記憶によってのみ個人たり得る
 ○コピー(クローン)ではいけない。遺伝のプロセスの中では、環境の変化の中でも種が絶滅しないよう、遺伝の度に膨大な記憶情報を都度捨てながら、変化と柔軟性を持たせるために新しい融合された遺伝子を作り出す機能を持っている。

こんなセリフが随所に出てきます。 子供だけでなく普通の大人も言っている意味が分からない人が殆どでは無いかなと若干心配もするのですが、とにかく多くの人に見ていただきたい傑作です。 

「となりのトトロ」といい、この「ゴースト・イン・ザ・シェル」といい、世界中で日本人にしかできないすばらしい映像作品であり、日頃すべての面で自信喪失気味の日本にとって、これは世界に誇れる「日本から世界に向けたメッセージ」として自信を持って良いのではないかと思います。

この作品の衝撃的な結末を申し上げるわけには、いきませんが、「衝撃的」と感じるかどうかによって、作品全体の理解度が分かるような気がしますが、皆様の感想をお聞かせ下さい。 

生命とは何か、遺伝とは何か、自我・意識とは何か、進化とは何かについてこの映画を見ながら考えてみるのもおもしろいと思います。 是非お薦めします。



5.人間とは何者か? 「意識の進化とDNA」 柳澤桂子著 地湧社
この本は、柳澤桂子氏という生命科学の科学者が、「人間の本質とは何か」という問いに対し、科学的なアプローチから答えを導き出そうと試みた画期的な本です。 非常に重大・難解なテーマについて、科学の基礎知識のない一般の人にも理解できるよう、若い男女の登場人物によって小説形式で話が進んでいき、とてもわかりやすく印象深く作り上げられている本です。
私にとっての生涯の研究テーマは、1.人間とは何者か 2.神とは何か 3.自意識とは何か と言うことなのですが、こういうテーマを考えていくとどうしても、「神」「霊魂」「超自然現象」等、オカルト的な事象を避けて考えを進めていくことは出来ず、自分自身、他人に対して考えを伝えることに非常に躊躇してしまうのですが、この本に出会い、自分の考えてきたことの方向性が間違いでないことに非常に勇気づけられました。
著者の柳澤女史も小さい頃から、「自分はいったい何者か?」と言うことに深く興味を抱き、科学者としてその問いに答えを出そうとされてきた方で、私と世代は違うにも関わらず、全く同じようなテーマを研究されてきた方がいらっしゃるのだと大変驚きました。
この本の中で私にとってもっとも大きな収穫は、「遺伝子に記憶は刻まれるのか?」という問いに対し明確に「遺伝子に記憶は刻まれる」と科学的に断言されたことでした。 以前私はある科学者に「遺伝子には記憶が残されているはずだ」と言ったら、即座に「それだったら遺伝子が神になってしまう」と否定されたことがあったのですが、まさにこの科学者が喝破したとおり、「遺伝子イコール神」と言うのが私の理論の中核を成す事柄であったので、この本によって私の考えてきた事柄の理論構成の確実性が大きく前進したように思います。 なぜ、遺伝子に記憶が残ると神になってしまうかと言う点については、話が非常に長くなってしまいますので、後日OPINIONのページに書きたいと思いますが、人間とは何かという、根元的な問いに対し、少なくともここ2000年の人類の歴史の中でも、科学的に研究されてきた形跡はありません。 
古代の哲学にしても、今に続く宗教にしても、まず「今ある人間ありき」から話がスタートしているので、「人間社会」と「人間以外の社会」との関係については一切触れられていません。
21世紀には、そろそろこの根元的な事柄について、「人間」の衆知を集めて研究する必要があるのではないでしょうか? そうでなければ、数千年・数万年後の歴史学者から、「地球の環境を極端に悪化させ、自分(人間)以外の種に対して、残虐極まりない支配を行った悪魔のような生物」と規定されてしまうこととなるでしょうから。



4.どうして日本人だけ、英文で姓と名を逆にして書くの?
これまた長い間、不思議に思っていたことですが、杉田 賢一郎を英文では、Kenichiro Sugitaと書きますが、何で姓と名をひっくり返して呼ぶ必要があるのでしょう?
中国人「毛沢東」は、Mao Zedong(マオ・ツェトン)、韓国人「金大中」は、Kim Dae-jung(キム・デジュン)。 世界でも日本だけが、自分の名前をわざわざ変えて伝えていることになります。 これこそ、日本文化・アイデンティティーをゆがめるものとして、問題視されるべきだと考えます。 これまた誰がそうしろと言ったのか分かりませんが、私は、SUGITA Kenichiro と書きたい!



3.どうして自動車の右車体に、右から左へ文字を書くの?
宮崎県のパトカーには、「察警県崎宮」と堂々と右から左へ文字が書かれています。 一体、自動車の右ボディーに右から文字を書けと誰が決めたのでしょう? 長さ数百メートルに及ぶ貨車ならともかく、せいぜい10数メーターのトラックに右から書く必要は全くないし、読みにくくてしょうがありません。 それより何より、車体に右から書く会社(公共団体を含む)のモラルが疑われます。 日本語は右から左に書き、電話番号や英文は左から書きと、全く節操がなくなっています。 確か、法律で日本語は左から書くと決まっていたはずですが、宮崎県警さんどうでしたっけ? でも、注意して見ると、「宮崎交通」等、バスやタクシー、トラックの中にも、ちゃんと左から書いている会社もありますので、その会社のレベルが分かるようで、面白いです。 ちなみに、宮崎でない他県のパトカーの、左車体に、「察警県○○」と書いてあったのを見たときは、怒りを通り越して笑い出してしまいました。 この県警では、「自動車には右から書く」と思い込んでいるようです。
「自動車に右から書くな!」運動をどこかやってくれないかなぁ。

※現在では、宮崎県警のパトカーには、ちゃんと「宮崎県警察」と書いてあります。

※いや、またまた宮崎県警のパトカーに、右から書きが復活しています! アホ!


2.なぜ日本においしいビールがないの?
どうして日本には、おいしいビールがないのでしょう。 ビールは本来、豊かな味とこくと香りがあって、銘柄ごとの個性を楽しむもの。 味も香りもなく、どのビールも見分けがつかないような日本のビールには幻滅です。 
「辛口」とか言って宣伝してますが、どうしてビールが辛くないといけないのでしょう? 本来のビールは、辛さと逆の方向を極めるものでしょう? 
日本のビールは、完全にアメリカの水みたいなビールのコピーですが、そのアメリカでさえ、今やバーやレストランでは最低6種類くらいの本格派ビールや地ビールをメニューに入れていました。

麦芽100%以外のビールは飲まないようにしましょう。 冷やしすぎもやめましょう。 
キリンが、辛さではない「うまみ」を追求した100%麦芽ビール「素材厳選」を新発売しまして、ついに日本でもまともなビールを目指す競争が始まったのかと、喜び勇んで買ってみたのですが、味は薄く「えびすビール」以下でがっかりしました。 ネーミングも悪いですよね。 日本にも、ワインブームが来たのだから、ビールブームが来ないかなあ。 
日本の消費者団体が騒がないのも不思議です。 
【提案】
 @100%麦芽ビール以外は、ビールと呼ばない法律(ドイツと同じ)を作る
 A発泡酒の税率をビールと同一にする
 B発泡酒の不買運動をする
 Cベルギーを中心としたおいしいビールをレストランに置くようにする
 Dバーには、数種類のグルメ派ビールを置くようにする
 E100%麦芽ビール以外は、家でも外でも飲まないよう心がける

ベルギーのビール「オルヴァル」を、330ml580円で、24本単位で通信販売で購入することが出来ますが、誰か共同購入しません?



1.先進国アメリカさん! いいかげんにメートル法を採用しましょう!
グローバルスタンダートが、世界のキーワードになってますが、その実、アメリカンスタンタードだと言われています。 社会システムや金融・経済面では最先端を行っているのに、いまだにアメリカでヤード・ポンド法を使っているのは、何とかして欲しい! 
面積のスクエアフィートとか、気温のフェアレンハイトとか、全然分からんがっ!







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